■・フィリピン歴史都市「ビガン」は、ルソン島北部のイロコス州にあります。
・1575年、この街は日本の海賊船の防備のためにスペイン人が建設した要塞から始まります。
・スペイン時代の名前は、シウダーフェルナンディナ (Ciudad Fernandina) です。
・その後、中国との貿易港都市として商業と貿易で栄える街になります。
・そのため町には多くの中国華僑が住んでいて、現在もその子孫が多いようです。
★1999年、この街が世界遺産となりました。
・その理由は、アジア各地に残るスペイン統治時代の都市の中でも「ビガン」は、街の保存状態が最も良い街と言われているからです。
・ビガンが交易や商業で栄えていた時代に、スペイン人や華僑や中国系フィリピン人達の建てた屋敷がいまでも残されています。
・スペインと中国の影響を受けた街並みは美しく情緒があり、多くの人は一度は訪れてみたいと思っている街です。
ビガンの街
■・マニラからビガンに行くには、飛行機か長距離バスしかありません。
・マニラからの長距離バスは約12時間ほどかかります。
・飛行機は直行便はなく、マニラからラワグの「ラオアグ空港」まで行き、そこからバスでビガンへ向かいます。
・飛行機はフィリピン航空が一日2便ほど、ラワグまで運行して約1時間ほどでラワグにつきます。
・ラワグからビガンまでは、バスで 2時間程乗らなければなりません。
・なにかとマニラからは 4時間~5時間ほどかかります。
・スペイン統治下(350年間)には、ビガンのほかにもマニラやセブにもスペイン人たちが住んでいて同様の街並みがありました。
・しかし太平洋戦争で、ほとんどの街が消滅し「ビガン」だけが奇跡的に戦渦を逃れました。
★・・ その理由 ・・・
・「ビガン」が、アメリカ軍の爆撃と破壊から守られて美しい町並みを残したのには、こんな話があります。
・地元の人々の話では、この美しい街並みが太平洋戦争で日本軍とアメリカ軍との激しい戦闘による破壊から免れたのは、日本軍将校の「高橋大尉」のおかげだと話しています。
・高橋大尉は、米軍がレイテ島に上陸し日本の敗色が強まりマニラが米軍に渡った頃、「アメリカ軍が来ても、我々全員がこの町ビガンから退去したことを伝え、この街が破壊されないようにと交渉してください。」と言い残し、駐屯していたすべての日本軍と共にルソン島の山奥に退去していったという話です。
・このことが実話とされて、2009年フィリピン映画 「イリウ」がつくられています。
1.スペイン風街並みのクリソロゴ通り (Kurisorogo Street)
・スペイン時代に建てられ屋敷がいまでも残されている。
・石畳の道を馬車がカポカポと音を立てて走り、昼間は観光客のお土産屋やレストランのテーブルが並べられて陽気な通りとなり、夕方はロマンチックで味わい深いムードのある通りとなる。
・母国スペインの風景が出現する街並です。
2.セント・ポール大聖堂
・ビガンの教会というとこの純白の大聖堂です。
・正面から入ると、真正面に大きな立派な聖壇が見えます。
・内部の柱の1本1本に聖人たちの絵画が飾られている。
・聖母子像や聖母像、聖人像なども沢山飾って並んである。
・この教会は大変人気があり、この日も大勢の人が集まり熱心にお祈りをしていた。
3.バンタイ教会とその鐘楼
・ビガンには教会が沢山あります。それも歴史の古さを感じさせるものが多いです。
・バンタイ教会もバロック式の古い教会です。
・この教会の鐘楼は、戦時中には見張り台として使用されていたようです。
・鐘楼の階段を登れば、大小の鐘とビガンの街を見渡すことができ人気のスポットです。
4.ブルゴス博物館
・スペインの悪政と戦って殉職した聖職者ホセ・ブルゴスの住居を博物館として公開したもので生活具の展示など当時の生活の様子を伺う事ができます。
5.クリソロゴ博物館 (エドッサ革命のルイス・シンソンの生家)
・地元の名士「クリソロゴ下院議員」の100年を超える歴史を持つ生家。
・地方都市のビガンで有りながらフィリピンの富裕層の生活を体験できる博物館です。
※「ルイス・クリソロゴ・“チャヴィット”・シンブソン」とはフィリピンの政治家で、下院議員やイロコス・スル州知事などを歴任した人物。
・シンブソンは父方の名前。 クリソロゴは母方の名前で両家ともビガンの経済を支配した中国人祖先の子孫です。
※貧しい国フィリピンの富裕層達の暮らしは想像を超えるほど豊かです。
・地方でありながら富裕者のクリソロゴの生家を見るだけでも良くわかります。
・ルイス・シンソンは、第二次エドサ革命の幕を切った人物として知られている。
・2000年10月、彼が違法賭博の利益の分け前として、エストラーダ大統領に4億フィリピン・ペソを支払ったことを告白した。
・フィリピンの政治家達は富裕層の出身者が多く、またフィリピン経済の支配者達でもある。
・この事件で、大統領から下級官僚達まで汚職まみれの実態が明らかになり民衆の怒りをかい第二次エドサ革命が起きた。
・2007年のフィリピン総選挙で上院に立候補したが敗れた。
6.「バハイ・ナ・バト」という家
・「スペインと中国とフィリピン」の様式で建てた2階建ての家のこと。
・スペイン人は石やレンガを使って家を建てた。しかしビガンは気温も湿度も高く台風も地震も多い街です。
・そこで地元の先住民たちの住まいである「高床式の家」を参考にし1階は石作りの倉庫や馬車置き場、2階は木造で風が通りやすい「スペイン風高床式住宅」を考えた。これがビガンの古風ある建物群となっています。
・1階の石作りはまさにスペイン風、2階は「格子窓」の引き戸が取り付けられてアジア風の家となっている。
・こんな立派な家に住めるのは、中国商人やスペイン人の金持ちだけでした。