絵画「 Fernando Amorsolo」 唄「Bayan Ko 我が祖国」Kuh Ledesma
■・"Bayan Ko"(我が祖国)について
・この唄は、フィリピンの革命歌です。1928年に作曲された。
・作曲当時は、Bayan = 故郷 ・ Ko=私・・ 「私の故郷」と歌われていたが、
・1982年、フィリピンのマルコス独裁政権に反対する民衆運動「ピープルパワー革命」の時、広場に集まった群衆達が自発的に歌い出したことから「我が祖国」としてわれるようになった。
★私は専門家でないので歌の内容を訳するのは難しいが、要約はこうである。
1.わが町は美しい、黄金と花で輝く町、心のやさしい人々の町
2.見知らぬ異国の船がやってきた。
3.我々は囚われた。奴隷の苦しみと悲しみの涙で満ちる町となった。
4.鳥も自由に空を飛ぶ、願いは、私たちが自由になること
5.苦しみの町よ戦いに立て、悲しみの町に自由の夜明けがくる。
・フィリピンは、約400年以上スペインとアメリカの植民地にされつづけた国です。
・さらに太平洋戦争では日本軍に侵攻され、100万人以上の国民が犠牲になりました。
・戦後の独立後も、独裁者マルコス政権によって戒厳令下に置かれて人々の苦しみと悲しみは続きます。
■・奪われた楽園400年
・フィリピンが世界史に登場したのは、1521年マゼランが世界一周の途中セブ島に上陸した時です。
・当時のフィリピンは、各地に部族長を中心に部族集落を形成していました。
・部族集落では、土地は共有物とされ、生産物は部落全員に平等に分配されるのどかな楽園でした。
・マゼランは、フィリピンにたどりつくと、鎧と槍、火縄銃、大砲などの武器の威力を背景に、各地の部族長たちに対してスペイン王への貢ぎ物と服従ならびにキリスト教への改宗を要求します。
・しかし、この要求に抵抗したマクタン島の領主''ラプ・ラプ''(1491年-1542年)は、1521年4月27日「マクタン島の戦い」でマゼラン軍を破りました。
・マゼランは戦死し、リーダーを失ったマゼランの部下たちはフィリピンを退却しますが。・・・その後、次々とスペイン遠征隊が上陸してきます。
・1565年スペイン人の「レガスビ」総統が着任し、フィリピンはスペイン領植民地となりその後、約350年間のスペインの支配が続きます。
・スペイン人は、フィリピンの富の略奪とフィリピン人を半奴隷のような扱いを続け、残したものは、「カトリック教」の価値観だけでした。
・1892年、このスペインの支配に、思想家の「ホセ・リサール」が民族独立運動を起こします。
・ホセ・リサールの抵抗運動は、欧州の大国によって支配され続けていたアジアで最初の独立運動でした。
★1897年、アメリカとスペインの戦争(米西戦争)が始まり、勝利したアメリカは独立を叫ぶフィリピン人60万人を虐殺してフィリピンをアメリカの植民地とします。
・アメリカ支配の50年間、アメリカがフィリピンに残したものは「資本主義経済と英語と銃社会」でした。
★1941年、日本軍(本間中将)が、リンガエン湾に上陸しフィリピンに侵攻します。この日本支配は日本の敗戦まで5年間続きます。
・このフィリピン戦線は、日本軍とフィリピン住民を合わせると160万人以上の死者を出した太平洋戦争の「最大の激戦地」です。
・しかし、沖縄戦の悲劇を知っている日本人でも、この「フィリピン戦線」の悲劇を知らない日本人がとても多いようです。
★フィリピン共和国の真の独立は 1946年の戦後です。スペイン支配から400年後、ホセ・リサールが目指した民族独立をやっと成し遂げました。
・しかしその後、独裁者マルコス大統領が現れて社会は混乱はしましたが、フィリピンは独立してまだ70年の若い国です。
★奪われた400年間の歴史は、フィリピン人自身が望むものでは無かった。
・植民地時代人々は、多様な文化を柔軟に受け入れる寛容さと、支配者に従属することを処世術として学んだようです。
・しかしこの間、社会では混血が進み、現在のフィリピン人は、ほとんどがメスチーソです。日系人も現在約10万人ほどいます。
・フィリピン社会の混沌と騒然さは、この歴史過程の中から生まれているものかもしれません。
★教育が進行している現在、部族長の「ラプ・ラプ」や思想家「ホセ・リサール」のような誇り高い人々が多くいたことを知れば、現代の若者達により、新しい楽園国家「フィリピン共和国」がつくられることも大いに期待できます。
■・革命歌 (我が祖国)
・400年以上スペインとアメリカの植民地にされつづけ、さらに戦争で日本軍に統治され、解放独立後は、独裁者マルコスによって戒厳令下に置かれた人々の苦しみと悲しみからの解放歌です。
・しかし、この革命歌(我が祖国)を聞いても、他国の革命歌とは違い、勇ましさや激しさは感じられない。
・それは、フイリピン人の国民性からだと私は思う。フィリピン人は、苦しみや悲しみの中でも「おだやかに」生きる人々だと思っている。
★日本人は フィリピンを誤解している人が多い。
・「貧しく汚い国」とか「役人の汚職が多く殺人・誘拐・天災と銃社会の国」とても危険で観光などには行きたくないと思っている人も多い。
・たしかにその通りで否定はできない。
・私もここで仕事をする前は、そう思っていた。しかし、それは間違いでした。
・アジアの幾つかの国で仕事をしてきたが、ここフィリピンが、一番心落ち着いて仕事ができた。
・たとえば、中国人の友人と酒を飲むと、酔いがまわると突然「日中戦争」の話が出てきて、お前もかと面食らうこともここではない。
・ベトナムのように「外国人価格」で不当にぼられることもない。
・フィリピンだけが、汚職の国ではない、中国・ベトナムは、さらに汚職の天国である。
★なぜ、心落ち着いて生活ができるのか、
・それはフィリピンの人達が、心おだやかで優しい人々が多いからだと思う。
・多民族国家・多重層国家そしてメスチーソ国家・混沌と混乱の社会ではあるが、そんな中でも人々は「一生懸命」生きている。
・無責任な指導者達には怒るが、しかし、相手の責任を深く追求することは無い。マルコスも責任を深く追及されず、それで生き延びた。他の過ちを犯した大統領達や官僚達も同じである。
★心やさしい人々
・フィリピンを一言で述べると、「心やさしい人々と豊かな自然」の美しい国です。
・日本人が忘れかけている思いやりの価値観を、いまでも持っている国と述べることができる。
・日本人の若者達が、フィリピンの歴史を少しでも理解できれば、うれしい限りです。