2 その生い立ち

    -幼年時代-



■・ホセ・リサールは、フィリピンルソン島、ラグナ州のカランバ町でメルカード家の7番目の子として1861年6月19日に生まれました。(江戸幕末期)
・父の名前は「フランシスコ・メルカード」、母の名前は「テオドラ」です。
・メルカード家は、裕福な家でリサールの上には兄1人と姉5人がいました。
 やがて、妹4人も生まれて11人の大家族の兄妹の中で次男としてかわいがられていたようです。

 

■・生まれ故郷のカランバは、ラグナ湖畔にある町で、湖の周辺には、椰子の並木や砂糖きび畑が広がる風光明媚(ふうこうめいび)で自然豊かな町です。
■・当時のフィリピンは、スペインの統治下にあり公用語はスペイン語でしたが、メルカード家はタガログ人なので家族はいつもタガログ語を話していました。

 

 

・母のテオドラは、女学校出身の教養人でスペイン語にも堪能で母親は、幼いリサールに公用語のスペイン語を熱心に教えたといわれています。
・リサールは、5歳の頃にはスペイン語で聖書を読み、8歳の時にはスペイン語やタガログ語で詩を書くなど、タガログ語とスペイン語を習得していたようです。

 

・当時のスペイン人は、フィリピン人を「インディオ」と呼び、土人扱いをしてさげすんでいた時代です。
・5歳のリサールは「なぜスペイン人はフィリピン人やそしてタガログ語を見くだすのか」と考え込んでいたそうです。

 

・幼少の時からリサールは、当時の社会の矛盾に気づき感受性豊かで、強い意志と才能をかねそなえた優れた子供のようでした。

■・リサールが5歳の時です。事件が起きました。
・母親がスペイン人の官憲に挨拶をしなかったということだけで警察に連行され、2年間も投獄されたのです。

 

・リサールは、やがてスペイン支配によるフィリピン人への「差別と不遇に対して」の解放とアジア地域におけるヨーロッパ民族の支配に対して、アジア民族の「自立自尊」の独立精神の大切さを悟ります。
・このリサールの生き方や考え方は、この幼年期に受けた母親の投獄事件が、大きな影響を与えたものと云われています。

・8歳の時、書いたタガログ語の詩
・この詩は、スペイン人に「タガログ語」を認めてくれるよう希望するという内容の詩です。