6 日本訪問

    -日本滞在-



■・スペイン留学から戻ったリサールは、故郷で開業医を開き、不治の病といわれた母親の眼病を見事に治して、穏やかな人生を過ごすと思われた。
・しかし、彼が書いた・小説 『ノリ・メ・タンヘレ (Noli Me Tangere)』が、フィリピンの支配者層から反感を買い、彼の存在と親族が危険にさらされはじめた。

 

・彼は、フィリピン総監督の国外退去の勧告を受けいれて、1888年2月3日マニラ港から再びヨーロッパへと旅立つた。その途中で日本に45日間ほど滞在した。(27歳)
・横浜に着いたのは、2月28日だから、当時はフィリピンから船で香港経由で25日程かかったと思われる。

 

・横浜で2泊し、3月2日から7日まで「東京ホテル」に宿泊した。
・東京ホテルは日比谷公園にあり、現在リサールの滞在記念碑が建てられている。

 

・日本の印象は、横浜はマニラより近代的ではなく暗いと書かれています。
・その後、麻布のスペイン公使館宿舎に滞在し日本の滞在期間は45日間でした。

 

・東京では、上野図書館・博物館・植物園などを見学、歌舞伎見学や箱根・日光なども見学している。
・日本滞在中、日本人や日本については、国民の礼儀正しさや清潔で整然とした社会文化に驚き、盗難事件が少なく、家の玄関に鍵はかけられていなく人々は陽気で勤勉であると記録していた。

 

・日本では、滞在中に「おせいさん」こと、臼井勢似子と交流を結び書道や墨絵を習い、おせいさんとの交流を通じて日本文化にも接している。・リサールは、おせいさんと出会って日本に対して好意的な印象を持ったようだ。

 

・「おせいさん」とは、リサールの呼び方で、上野戦争で戦死した士族の妹で、当時23歳の女学校出の教養ある女性でした。
・「おせいさん」から教えてもらった「さるかに合戦」と、フィリピンの昔話「さるかめ合戦」が、とても話が似ていたのに驚き、翌年ロンドンで日本の民話「猿蟹合戦」と、フィリピンの民話「さる・かめ合戦」を比較した論考を著している。

 

・在日スペイン公使館からの高給な話を断って、おせいさんとは、出発の前日に目黒のお宮で別れている。
・もし、仕事を引き受けて日本に滞在したならば、おせいさんと結ばれていたかもしれない。(勝手に憶測する)

■・1888年4月13日 横浜からサンフランシスコ行きの船に乗り込んだ。
・航海中、後に衆議院議員となる自由民権運動の壮士「末広鉄腸」(すえひろ てっちょう)と知り合う。
・日本語と英語が話せるラサールは、末広に取っては良き友人であり、15日間の船旅でリサールから西洋文明についての知識を学んだ。
・当初の末広鉄腸の目的は訪米だったが、リサールと意気投合したために予定を変更して、サンフランシスコ到着後も行動を共にし、二人は大陸横断鉄道と大西洋航路を共に旅して5月にイギリスのリバプールに到着した。その後、リサールとロンドンで別れた。

 

 

末広鉄腸(すえひろ てっちょう) 1849年 - 1896年・愛媛県宇和島生まれ。
・反政府側の政論家・新聞記者・衆議院議員・政治小説家。
・1860年、四書五経の素読を終え、藩校の『明倫館』で朱子学を修め母校の教授になった。
・1870年、上京したものの師を得ず、京都で陽明学を学ぶ。
・1874年、大蔵省の勤務に転じたが、折からの自由民権運動の高まりの中で言論家を志した。
・1886年、当時の時代思想を表した「雪中梅」と「二十三年未来記」、「花間鴬」の政治小説三部作を執筆発表しベストセラーとなる。
・1888年、訪米行きの船中で、ホセリサールと知り合い、二人は意気投合してロンドンまで旅を共にする。
・    帰国後、小説「南洋の大波瀾」を発表した。
・1890年、大同新聞記者の肩書で、第一回衆議院議員選挙に愛媛県から立候補し当選した。
・1896年、現職議員のまま、舌癌で亡くなる。

 


おせいさん=臼井勢似子さんです。
・江戸旗本の武家育ちでつつましく、編み物と絵画を得意とし英語とフランス語を学んでいました。
・兄が彰義隊に加わり上野の山で戦死しているだけに、独立の志士として不遇な状況にあるリサールに深い同情の念を抱いていたようです。
・おせいさんは、イギリス人学者と結婚し80歳の天寿を全うしたようです。・唯一の楽しみは、フィリピン切手の収集でリサールの肖像が描かれていました。

 

ホセ・リサールが残した言葉

◎共に働こう!
 よしなき愚痴をこぼさずに、不平をいわずに、非難も弁解もせずに、改革を進めよう!建設をしよう。

 

◎どんな簡単なことからでもよい。
 なぜなら、その基盤の上にこそ、やがて、新しい殿堂を築くときが来るから。

 

◎生きることは、人間の中に入ることであり、人間の中に入ることとは、戦うことです。

 

◎どんな宗教であろうと、
 宗教は人間同志を敵対させるのではなく、むしろ兄弟にする。それも真の兄弟にするのでなければ、真の宗教ではない。

 

◎人生は、悲しみと危険に満ちている。
 ゆえに、あらゆる困難に備えて、子供たちの人格を高めよ!
 あらゆる危険に備えて、子供たちの心を鍛えよ。

 

◎教育は、悩める人間の胸中に赤々と善の炎を灯し、凶暴な悪人の両手を縛る。
 秘めたる宝を求める者には、誠実に惜しみなく心の安らぎを与え、善の心を燃え上がらせる。
 教育は、かくも高貴で、完全なものであり、確かなる人生の香りとなる。