3 少年期と青年期

    -少年期と青年期-

・スペイン語を身に付けた彼は、9歳で「ビニヤーン校」に入学した。この学校の授業はスペイン語で行われていた。
・スペインは、フィリピンを植民地にしていた時代に、教育機関の整備を行った。
・そこで学べる学生達は、スペイン人の子弟達で教育言語もスペイン語で行われていた。
・1863年になってようやくフィリピン人の入学も許可されたが、その入学は一部のフィリピンの裕福な子供達に限られていた。
・そんな中1870年リサールは、9歳で「ビニャーン校」に入学した。

 

・そこは白人の世界、話されるスペイン語は、リサールに取っては外国です。
・タガログ人のリサールに取っては、いじめにも遭い厳しい毎日でした。

 

・スペイン人(白人)とタガログ人(自分) の違いは何かと考え、皮膚の色が違うだけで、能力的にも精神的にも根本的には差がないと確信し、リサールは勇気を持って勉学に励んだと言われている。

 

・19世紀は白人支配の世紀、白人は優れていて有色人種は劣っているという世界観の時代です。
・少年のリサールが、このような価値観を持ったと言うことは、彼が優れた少年であることを物語っています。

・16歳で中等教育の「ビニャーン校」を修了したリサールは、1877年マニラにある「アテネオ学院」(現在のアテネオ・デ・マニラ大学)に入学した。農学を勉強するためである。
・リサール自身が希望したのかどうかわからないが、母親テオドラが、ホセがずば抜けた頭脳の持ち主で、正義感や義侠心にあふれた少年であり、これ以上の高等教育を身につけると、人生に苦労するのではないかと考えて、平穏で経済的にも恵まれる農学を専攻させたと言われている。

 

・リサールは、アテネオ在学中、天性の資質を発揮し優れた成績を残している。
・18歳の時には、文学作品コンテストに応募して、その作品が最優秀賞になる。
・それは、スペイン語で書かれた「フィリピンの若者」(A la juventud fillpina)である。

 

★・母親が目を患ったと聞くと、お母さんの目を治すため、最高学府の「サント・トマス大学」の医学部にも通い始めた。

 

・1881年、アテネオ学院を卒業しスペイン政府から「土地査定技師」の免許を授与される。翌年には「サント・トマス大学」医学部も修了した。
・そして、リサールは卒業後、父の反対を押し切ってスペインのマドリード大学に留学するためヨーロッパへと旅立った。

 

 

 

-民族支配-

★・民族が他民族を支配すると言うことは、どのような事なのかを考えてみよう。
・人間の歴史は、この民族支配の歴史と言ってもよい。
・そのことが間違いであり、多くの悲劇が繰りかえされてもきた。先人達はその間違いを指摘してきたが、現代社会においても争いや戦争は、一向になくならない。

 

・その理由は、人間の悲しい性(さが)にあるのかもしれない。
・人間は、大昔から食料や水を求めて、部族間で激しい争奪戦(そうだつせん)を繰り返し、力強い者が国家をつくり、さらに争いを繰り返して、他民族を支配していく歴史世界が続いてきた。

 

★大航海時代をへて世界も広がり、やがて産業革命が起こり、近代社会になっても、力を手にした国は、力をもたない国々を次々と植民地化して、その範囲を拡大し支配を続けてきた。

・それで支配をして、どうするのだろうか

・支配する大義名分(たいぎめいぶん)はともかく、真の目的は資源の争奪である。
・資源とは「食料・人・土地・財宝・文化遺産・利権」など多くの物があり、ストレートな言い方をすれば、まさに「泥棒する世界」なのです。

 

古来からの教えには
『モーセの十戒』には、隣人の財産を欲してはならない。
『仏教の五戒』には、不偸盗戒(ふちゅう とうかい)他人のものを盗んではいけない。
と教えがあり、親からも「泥棒は悪いこと」であると教えられてきた現代でも、この力の理論は反省する事なく変わらない。


★例えば中国が、隣国チベットを支配しウィグル民族を力で支配するのも、その地域にある豊富な資源を支配するためである。
・チベット高原の凍土地帯に巨額のお金をかけ「青蔵鉄道」(せいぞうてっどう)を造ったのも、手に入れた資源を運ぶためである。
・西の「ウィグル民族」を力で支配するのも、石油の利権を手に入れるためである。

 

・この力の理論は「悲惨(ひさん)な悲劇(ひげき)」をつくり出す。
・争いで傷つく人々、支配されて奴隷化される人々、財産を奪われる人々など歴史の悲劇が繰り返されている。

 

★いま、人類が持つ最たる力が「原爆」である。原爆は一瞬にして、人をはじめ全ての物を破壊する。
・そんな力の理論で手に入れようとしても、何一つなくなるのである。
・そんな危険な世界を向かえても、まだ気がつかない指導者や人々が大勢いる。

 

・チベット研究家ペマ・ギャルポは、(チベット人で日本に帰化した学者)
・五年前にチベットと青海省を結ぶ青蔵鉄道が開通したあとに、彼は祖国チベットを訪れた。
・著書の中で 中国人観光客は五倍に増えたが、それによってチベット人は更に貧しくなった事実を指摘している。
・また『中国と中国人は、雇用や文化から町までも奪い尽くしている』と批判した。